大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台高等裁判所 昭和31年(ラ)54号 決定 1956年10月31日

抗告人 渡辺ノイ

主文

原審判を取り消す。

本件を福島家庭裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告の理由は別紙のとおりである。

案ずるに、戸籍の記載に錯誤若しくは遺漏がある場合には、利害関係人は家庭裁判所の許可を得て戸籍の訂正を申請することができることは戸籍法第百十三条の規定するところであるが、戸籍の記載に錯誤若しくは遺漏がある場合とは、戸籍に記載された事項の相互の間に錯誤若しくは遺漏があつてそのことが戸籍の記載を一覧して直にこれを知り得る場合だけでなく、その書面又は口頭による届出とこれに基く戸籍上の記載との間に錯誤若しくは遺漏があつてその記載が届出の趣旨と合致していない場合をも含むものといわなければならない。従つて後段の場合においては、戸籍に記載された事項を一覧しても必ずしも直に戸籍の記載に錯誤若しくは遺漏のあることを知り得るものではなく、その届出の趣旨と戸籍に記載された事項とを対照することによつて始めて戸籍の記載に錯誤若しくは遺漏のあることを知り得るものといわなければならない。この場合においては単に戸籍上の記載に止らずその届出の趣旨を調査してこれと対照するのでなければ、戸籍訂正の要否を決定し得るものでないことは勿論である。

本件についてみるに、抗告人の主張するところは、抗告人は渡辺キクノの毋で昭和十三年七月八日渡辺丑五郎(昭和十九年七月十七日戦死)と婿養子縁組入夫婚姻をしたのであるが、戸籍上は単に入夫婚姻として記載されただけで婿養子縁組の記載がないというのであつて、本件申立書及び抗告理由書の記載に徴すると、その趣旨とするところは抗告人等当事者間においては当初から婿養子縁組入夫婚姻の意思を有しその趣旨の届出をしたのにかかわらず戸籍の記載にこの点の錯誤若しくは遺漏があるとし戸籍の訂正を求めるものであることを窺えないことはない。そうだとすれば前説示の後段の点を調査するのでなければ抗告人の本件申請の当否は結局これを決し得ないものといわなければならない。しかるに原審判はこの点の調査を尽さず単に戸籍の記載によつて本件申請の当否を判断したものであることはその理由摘示によつて明かであるから、原審判は結局これを不当として取消を免れない。

よつて家事審判法第八条家事審判規則第十九条第一項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 村木達夫 石井義彦 上野正秋)

抗告理由

右事件に関し現在までの経過を申立いたします。去本年五月二十八日福島家庭裁判所家事部にて婿養子縁組確認申立書を提出せよといわれましたので丑五郎が充員召集令状を手にして生家安達郡元荒井村字南作七十五番地、丑五郎の兄政吉宅に御別の言葉に留守中を悉く依頼し又戸籍上の件も非常に気にしまさか戦死はしない覚悟だが軍人だから若しの際に困るから養子縁組に訂正いたすようにと兄に依頼しましたが政吉は丑五郎よりも再三戦地よりの依頼も果さず昭和二十三年十月二十三日病没し居ます其時恰度元分会長国分惣治が居合せ、丑五郎の意思のあつた事の立証いたしました。又其当時の元岩根村在郷軍人分会長日下部栄司も丑五郎の応召出発の際後事をよろしくと殊に戸籍訂正には御願しますと申されたる由証人として聴取されました。又当時の戸籍吏は津田武義は誤りです、渡辺佐吉は先年死亡し居ます。当時の村長日下部伝之助は現在健在でありますが当時の戸籍吏が実際と違う記載にて申訳ないと申し居ます。私等は女許りであり戸籍吏任せにいたしました。福島県庁世話課にても現実と違う戸籍は一日も早く家裁にて訂正さいすれば国家干城として戦没いたしたる遺家族が戸籍の記載上にて親でない子でないという旧法は改めて立派に名誉ある海軍一等兵曹丑五郎の毋として公扶恩典に浴するようにと申され居ますし又法務局戸籍課も丑五郎の意思を立証する証人あれば裁定により婿養子縁組を認めると申居ます。今や此問題は話題となり戸籍法が欠陥だと申居ます。何卒高裁にてよく御調べの上寛大なる御審判により戸籍の訂正方を右抗告いたします。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例